りょまち日記

下書き、というよりは書き損じの手紙

ころころ

 

僕らふたり

手を繋いで

ころころ、転がっていこう

 

石ころみたいに

さらさら流れ流され

それでも繋いだ手だけは離さずに

穏やかになった川のほとりで

気付かずふたり、丸くなっていよう

 

僕らふたり

手を繋いで

ころころ、転がっていこう


雪だるまみたいに

少しずつ幸せを身にまといながら

やがて星が輝く夜の歩道で

気付かずふたり、大きくなっていよう


僕らふたり手を繋いで

ころころ転がっていこう


どうしようもない悲しみは

どうにかしようとするものではなく

ほんとどうしようもないねって笑ってくれる

あなたの腕への切符にしよう

 

.

.

.

何年も前に書いた散文。

そのうち曲にするね。

おかあさんのおなら

 

《おかあさんのおならをした後の「どうもあらへん」という言葉が 私の今の支えです》

.

.

【日本一短い「母」への手紙】という本を買った。

昔一度買って、引っ越しのときに手放してしまったけれど、こないだ古本屋で見つけたのでまた買ってしまった。

 

〔本書は平成五年度の第一回「一筆啓上賞-日本一短い『母』への手紙」(福井県丸岡町主催、郵政省後援)の受賞作品を中心にまとめたものである〕原文引用

 

応募資格は問わず、誰でも応募していいよー!ってな感じの公募にて、「母への想い」を綴る短い詩を募集し、その受賞作品をまとめた本らしい。

 

「母親」というのは、百の家庭があれば百の母親がいて、いない場合もあり、必ずしもその存在というのは、思い出せば胸が温まるというようなものばかりではないのかもしれないけれど、あくまで個人的に、俺はこの本を読んで胸がじんわりと濡れるような気持ちになったので、ちょっと紹介しちゃおうかなと思います。

 

*おかあさんのおならをした後の「どうもあらへん」という言葉が 私の今の支えです

(大阪府・30歳・女性)

 

おならってやさしいと思う。

まず言葉がやさしい。おなら。ひらがなも丸っこくてかわいい。

多分、この詩のおならは「ぷーーっ、ぷすっ」だったと思う。いやお前それ今実出ただろ絶対って感じのリアルさよりは、あら、出ちゃったわふふって感じのかわいらしさ。そしてちょっとくさい。

そこで言うおかんの「どうもあらへん」

あったかいなあ。きっと作者はお母さんに愛されてるんだろうなってあったかさまで伝わってくる。

ところで、

おならというのは人間関係によって様々な立ち位置を持つものだと思う。

あなたは恋人の前でおならをできますか?

恋人が突然目の前でおならをしたらどう思いますか?

むかーし、むかし。

当時お付き合いしていた女の子とわたし。

若い僕らはお互いオナラなんてしたことないですよーって顔で過ごしておりました。

そんなある日、夕陽の射し込む部屋の中、恋人特有のあのこちょばしあいが段々とヒートアップし、本気を出しすぎた僕の腕の中で突然響いた

「ブブッ‼︎」

という振動。

「あっ、おなら出ちゃった..」

あの瞬間、僕は、「あ、なんだろ、この気持ちは、愛かもしれない」と思いました。おならで気付く愛もある。

 

*弘君のまねして お母さん と呼んでみた やっぱりダメだ かあちゃんが遠くなる

(群馬県・45歳・男性)

 

人の名前を呼ぶとき、その名前には、あなたとその人との歴史が詰まっている。

例えば、俺の名前はリョーマだが、あなたが俺のことを「りょーま!」と呼んでくれるとき、その「りょーま」にはあなたと私が出会ってから今までの重さがある。

昨日出逢った「りょーま」なのか、

10年前からの「りょーま」なのか。

幼馴染の名前を途中からいきなり違う呼び名で呼ぶことはできない。俺も、小学校からの親友(くすぐったくてヤな言葉ね)がいるが、そいつのことは20年近く経った今でも苗字で呼んでいる。そいつの名前はリョウっていうんだけど、俺の中でそいつはリョウじゃない。リョウという名前にはなんの歴史もないのだ。

そう考えると、母親は、生まれてから一番長い歴史をもつ呼び名なのかもしれない。

そりゃあ、かあちゃんを今さら「おかあさん」なんて呼べないわけだ。

 

*母ちゃんごめんネ 背中におしっこかけないから もう一度おんぶして》

(群馬県・60歳・男性)

 

おむつ穿いてなかったんだろうなあ。

トイレトレーニング始めて、お兄さん用のパンツ穿いてたけど、久しぶりにお母さんのあったかい背中にくっついてたらなんだか眠くなってきちゃって、気づいたらおしっこ漏れちゃって、

そしてきっと、何歳になっても、大人になってからも、何度も何度も、背中をべちゃべちゃにされたその日のことを、お母さんは愛おしそうにあなたに話し続けたんだろうなあ。

 

.

.

飾らない言葉というのはいいものですね。

どうしても、その分野の専門家や、ある程度お勉強をしている人間というのは、気持ちのままに素直に表現というのができなく(しなく)なってしまう。

特に詩の世界になると「手垢のついた表現は避けて」「もっと比喩を使わなければ」「ラブソングに"愛してる"なんか使えない!」ってなことは往々にしてあります。

 

なので、この本の中できらめく「ありがとう」や「愛してる」という言葉たちは、その言葉の持つ純度そのままに、きらきらいきいきと胸を張っているように見えました。

 

他の作品たちも言わずもがな素晴らしい言葉ばかりなので、気になるあなたは是非、その手のひらの中で開いてみてね。

.

.

*両手で顔をつつみこむ この半分はあなたの匂い 私の中にあなたが息をしている

(札幌市・27歳・男性)

 

覚え書き

 

夜更の最終バスはため息をつくように

空っぽのまま走りゆく

 

乗ってくるかもしれない誰かは

もちろん今日もいる筈もなく

だけど

走らなきゃいけないので走る

 

 


ふとかさねてしまう

今も歌い続けるあなた

 

歌うと決めたのはあなた自身だ

 

だからこそいつだってやめていいわけで

だからこそここでやめるわけにはいかない

 


今日も空っぽのまま走る

 

スローバラード

 

中学二年生のある夜、0時くらいだったかな

 

二階の自分の部屋から一階のキッチンに水を飲みに降りてみるとふと、母親が居間でテレビ観ながらしくしく泣いていた。

 

お、なんやおかん泣いとるの久しぶりに見たな。

 

と思いながらコップ片手に出てみると、テレビには何やらキラキラしたステージにキラキラしたおっちゃんが歌ってる映像が映ってた。

 

 

"昨日はクルマの中で寝た、あの娘と手をつないで"

 

母親の涙と、液晶ん中で汗を流してるキラキラしたおっちゃんのコントラストがなんだかとっても美しくて、

 

「あ 俺多分この景色一生忘れないだろうな」

って思った。

 

 

2009年5月2日

忌野清志郎が死んだ。

 

まあそれは特に、今回どうでもいいんだけど。

 

あの夜から俺の中にキヨシローが住み始めた。

 

 

その後

ひょんなことから俺は歌い始め、

ひょんなことから20歳くらいのときにやった全国ツアーで、忌野清志郎とずっと一緒にツアー廻ってたというイベンターのおっちゃんと仕事をした。

 

そのおっちゃんに「清志郎はレジェンドですよね」と言うと、普通に怒られた。

 

おっちゃん曰く

「レジェンドってのは死んで伝説になった人間のことを言うんだ。清志郎は確かに死んだけれども、あいつの仕事はまだまだ山積みだ。俺はあいつの仕事でてんやわんや、まだまだ終わってなんかない。だからレジェンドなんか言葉であいつを表現するな」

 

みたいなことを言ってた。

 

なんとなく言いたいことは分かった

気がした。

 

 

まあでもそんな話は今回どうでもよくて。

 

 

おかんがしくしく泣いてたあの夜、初めて聴いたキラキラのおっちゃんが歌ってた曲。あれほんと好きなのよね。

「スローバラード」って歌なんだけどみんな知ってますか?

 

 

"昨日はクルマの中で寝た
 あの娘と手をつないで
 市営グランドの駐車場 
 二人で毛布にくるまって "

"カーラジオからスローバラード
 夜露が窓をつつんで
 悪い予感のかけらもないさ
 あの娘のねごとを聞いたよ
 ほんとさ 確かに聞いたんだ"

"カーラジオからスローバラード
 夜露が窓をつつんで
 悪い予感のかけらもないさ
 ぼくら夢を見たのさ
 とってもよく似た夢を"

 

 

うんうん、あの娘の寝言を聞いた

たしかに聞いたよな

 

でもどんな寝言かは

絶対他の誰にも言わないよな

 

そして

 

夢を見たんだな

二人とってもよく似た夢を

 

でもどんな夢だったかは絶対誰にも言わないよな

 

 

 

秘すれば花、じゃないけど

説明しないうつくしさ とはこういうことを言うんだろうなあって、がきんちょわいは思い知らされた夜でした。

 

んで

その夜から一年後くらい、

 

当時弟のように可愛がってくれていて自分も大好きだった年上お姉さんから突然

「あたしもう少しで結婚することになったから、その前に一回デートして。」

 

と言われる絶賛思春期爆発中の私。

 

そういった際の処世術をまだ何一つ身に付けている筈もないがきんちょはそれでも必死に、夏祭りやらドライブやらご一緒した後、いよいよ夜も更けもういっそどうにでもなれとこれまた思春期特有謎の全能感を抱きつつしかしそれとは裏腹に全身が心の臓と化してしまったかのような緊張感と反比例するように湧き上がるライカマグマな欲望をひりひりと感じながらやはり、

 

 

市営グラウンドの駐車場に居た。

ちなみに助手席である。

 

 

「結婚、たのしみですね」

「また遊びましょうね」

 

そんな、くだらない、夏と秋の間に吹く生暖かいけどちょっとさみしい風のような、要するにまあ、そんなどうでもいい話をしながら、結局少しずつ眠りについた。

 

あの夜あのとき抱いた感情は、さみしいでもかなしいでも嬉しいでもなく、「カーラジオ一曲分」でしか表現できない気持ちだったな。

もう、寝言を言ってたかも夢を見たかどうかも思い出せないんだけどね。

 

ちなみに、そんときカーラジオから流れてたのはカーペンターズでした。

 

あれ、結局何を言いたかったんだか全く思い出せないんだが、これを書き始めてからここまでにゴーマル缶を3本も空けてるところを見ると、まあどうでもいいようなことだったんでしょう。

 

一生忘れないだろうな って景色を

 

たくさんたくさん見つけながら生きていきましょうね。

「詩」というバケモノみたいなイキモノ

 

 

全員、とは言わない。

 

全ての人間がそうとは言わないが、人生には一度「詩」が落っこちてくる瞬間がある。

 

それが散歩中なのか、シャワーを浴びているときなのか、恋人と初めて手を繋いだ瞬間か、人によって実にさまざまなのだが。

たしかにそれは「すっ」と、音もなく降り積もる雪の一粒のように、心に落っこちてきてはじわっと溶けてゆく。

 

君にもあったはずだ。

 

つまらない授業中に大好きな歌の一節をノートの端に書き記したことが。

あのとき、確かに私たちはその愛しい詩たちを手にし抱きしめ、その瞬間「この詩だけが私の理解者なのだ」と 大いに勘違いし、満足気にその数行を眺めていた。

 

だが、厳密に言うとそれは「拾った詩」であって、落っこちてきた詩ではない。

詩を拾うことなんて何度だって出来る。

一度捨ててしまった後だって、まだそこに落ちているのであれば拾える(多くはたいてい"サビ"ついていたり、"コケ"が生えてしまっていたりするが)。

それにくらべ落っこちてくる詩というのは、まるで頭の上にちいちゃな雲が突如出現し、そこからまっさら生まれたての雪がふわっと降り落ちてくるように、「自分だけの詩」が心の中にじんわり生まれくるのだ。

 

この瞬間、たいていの人間はその詩を確かに一度見つめ、なんとも言えぬ恥ずかしさを覚え、困惑し、身悶える。そして名残惜しいとは心の底で思いつつもその詩を捨て去ってしまう。それも、このときの捨て方と言ったら「拾った詩を捨てる」ときのようなそれではない。

誰にも見られないような人気のない夜の海、もしくは富士の樹海あたりでしょうか。ですから季節はやはり秋の終わりでしょうね。

そんな寂しくかなしい「詩のハカバ」へそっと、匂いの漏れぬようしっかりビンに詰め(しかしビリビリに破ることなど決してできない)、投げ捨ててしまうのだ。

 

別にそれが愚かなことだとは決して思わない。

むしろそんなものさっさと捨て去ってしまった方がいいかもしれないよ、と言ってしまいたい気持ちさえ今なら少し、ある。

 

ただ、わたしがここで伝えたいのはその「落っこちてきた詩をいつまでも捨てきれず抱きしめたまま生き続けてしまう人間」もたしかに存在するということだ。

 

"こちら側の人間"になってしまったのなら覚悟が必要だ。

詩は要するに「言葉」であり、言葉は「生きもの」であり、しかも自分勝手極まりない性格、キバ有り、鋭いツメ有り、寿命は飼い主と一分一秒も違わず、おまけにエサは"人生"ときたもんだ。

こんなバケモノみたいなイキモノを、一生飼い慣らしながら(飼い慣らすことなど到底できない)生きてゆかなければならない。

 

.

.

少しおおげさに書いてしまった気もするが、そのくらい「詩」というものはおそろしく、だからとてつもなく美しい、例えるならば、決してなつくことのない「頭の良いケモノ」のようなイキモノなんだな。

 

ただ、落っこちてきたものを捨てきれず抱きしめてみただけなのに何という仕打ちでしょう。でも、仕方ありません。どんなおそろしい獣も生まれたての頃はちいちゃく可愛いものです。

.

.

 

だからふと、

 

わたしは今こんな風におもう。

 

もう、心の底から愛してあげようと。

 

何の見返りも求めずただ、初めて抱きしめたあの瞬間のまま愛してあげたいと。

いつか食い殺されてしまう日が来るとしても、それならそれでいいや。勝手に拾い上げ、抱きしめたのは自分なのだ。

 

抱きしめたまま捨てきれない、こんな駄文をここまで読んでくれている愚かなそこの同志たちよ。

共にこのどうしようもないバケモノを愛し生きていこうじゃないか。傷だらけの腕で筆を握り、丹念に擦り出した人生にその穂先を滲ませ、私たちだけの言葉を書きなぐっていこうじゃあないか。

 

 

なんて

 

いつもこんなふうに気障に締めようと、飼い慣らそうとする私はそのうち食い殺されることでしょう。本望です。

強がりでは、決してない。

 

 

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全部「ぱ」にしよう

 

 

大切な人たちがいつまでも幸せでありますように。

お母さんがずっと健康でありますように。

自分の歩くこの道の先に小さな幸せと不幸せが散りばめられていますように。

西陽を浴びながら寄り添い眠る電車の中の兄妹が、50年後も争うことなく眠れますように。

 

 

そんな想い全部ひっくるめて「ぱ」にしよう。

 

 

ぱぱぱ

 

 

なんにもない田舎道

流れ星を見つけてそんなこと思う夜

 

 

 

「わたあめ」

 

 

「ねえ、さみしい」

 

自分でも驚くほど自然に、そして無意識に呟いていた。まるで胸の奥にしんしんと降り続いていた雨がやがて許容量を越え、しずかに唇の端からこぼれ落ちるように、自然に。

 

こぼれたその瞬間から言葉は温度を持つ。たとえそれが自分でも気付かないフリで、ずーっと密かに隠しておいた"とっておき"の言葉だったとしても。放たれた瞬間から血が通いだし、産声を上げ、見て見ぬふりなど到底できない温度を持ってしまう。

 

 

「どうして?一緒にいるのに、変なこと言うなあ」

 

 

この人は知らないのだ。一人でいるときのさみしいと、一緒にいるときのさみしいは似てるようで全く別のいきものだということを。もっと言えばあなたといるときの方が"さみしい" のに。

一人でいるときのさみしいがこの世全ての"さみしさ"だとなんの屈託もなく信じてしまうようなこの愚かさとかなしさとそして、真っ直ぐさに驚き、救われた。そしてその真っ直ぐさに撃ち抜かれた胸から今流れ出している滴は、たぶんこれもさみしさだ。

 

「どうして?一緒にいるのに、」

 

どうして?

説明しようとすればいくらでも出来るような気もするし、どんな言葉を使ったって伝えられない気もする。

ただ、目の前のこの愚かで真っ直ぐな男を私は愛しているし、きっとこの男も私を愛している。そして、同じくらいこの男を愛している人間(だれか)がいることも知っている。だけど別にそれがかなしくてさみしいわけじゃない。例えそうだとしても、それを理由にしてしまうことは一番かなしいことだ。

 

ー 返す言葉が見つからず、宙にふわふわ漂ってしまった「どうして」を見つめるようにぼんやり眺めていた、茶色くしなやかに伸びる指の先には深く切りすぎた爪がちょこんと光り揃っている。きっと、私はこの指を一生忘れないだろうな。

 

「ううん、なんでもないや。あ、雨上がったねえ。もうディズニーも今日はやってるのかな」

「ああ、午後からはやるかもね。でも電車が動いてないんじゃ今日はガラガラかもなあ。行ってみる?」

 

"得体の知れないさみしさ"を感じてる私のために捻り出されたやさしさ。そう、この人はやさしいんだ。そしてそのやさしさに少しずつ私の心は殺されてしまった。麻酔を塗ったナイフで少しずつ削がれるように、いとしい傷跡たちだけを残して。

"でもね、電車が動いてないのにどうやって行くの?"

私は、もうほとんど泣いていた。けれど愚かな彼は気づくはずもないし、心の中で呟いたはずの言葉もやっぱり口の端からこぼれ落ちてゆく

「たしかに、じゃあ電車が動き出したら行こうか。多分午後からは大丈夫だよ。それにしても昨日の台風が嘘みたいだねえ。ぐるぐるとかき混ぜながら雨も雲も全部持ってっちゃったのかな。わたあめみたいなやつだ」

 

ぶつぶつ"やさしさ"を垂れ流す背中を後ろからそっと抱きしめる。大丈夫、もうこのやさしさはいらない。外はこんなに晴れているしこの人の背中はこんなにあったかい。きっと、私が知るずっとずっと前からちゃんと温かかったんだ。胸の奥に降り続いていた雨はいつのまにか上がっていた。かなしみとかさみしさとか、ぐるぐるぐるぐるかき混ぜながら目の端っこから落っこちて あなたの背中に溶けていったことも、たぶんあなたは気づかないんだろうな。

 

 

「ありがとう。ほんと、わたあめみたいだね」

 

 

 

そろそろ、電車は動き出す。

茶色くしなやかな指先が一瞬私の頬を探す。

きっと、私はこの指を一生忘れない。

 

 

 

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