生意気に愛や夢を歌っているのに
「この世の音楽は全てラブソングだ」
という言葉を聞いた。
一瞬で「ははーん、たしかに。」
と 納得したけれど、この暴論とも言えるような一言を何故すんなり受け入れることが出来たのかをゆっくりかんがえてみようと思う。
ちなみに今僕は美味しそうなケーキと可愛いキャラクター(ドラえもんにピカチュウを足して哀愁を一滴垂らしたような生命体)の絵が描かれた看板が飾られてあるホコリくさい喫茶店の隅っこで、アイスコーヒーに挿されたストローをがじがじ咥えながらこの記事を書いています。
こういうレトロな喫茶店に置いてある茶色くて四角い小さな砂糖が大好きだ。店内に流れているよく分からないピアノとストリングスだけの安っぽい有線も大好きだ。
どうでもいいものたちが何故だかとっても美しく見えてくるこの気持ちを、ときどき思い出したくてふらっと入ってしまう。だからきっと、恋人とは来れない。そしてこういう風に話が脱線し続けていくことを俺は決して恐れない。ここまで書いてはっと我に返ったが消すのももったいないのでこのままいく。本題に入るぞ。ついてくるのだ。
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「この世の音楽は全てラブソングだ」
ジャンルやサウンドじゃなく、これは確実にハートの話だよね。
そして、この一言に納得してしまった大きな理由はそもそも「愛」というものがあまりに多様的で曖昧で、なにより自分勝手なものだからだ。
スローバラードだけがラブソングとは限らない。
神を冒涜するようなハードロックだとしてもそこには彼なりの愛が込められているのかもしれない。
誰かへの、自分への、何かしらに対して、形があろうが無かろうが、「想いを伝えたい」と思うところから音楽は生まれる。
そんな想いから生まれた音楽は、中身はどうであろうと須くラブソングなのだ。
うん。
とっても自分勝手で主観的なこの方程式を、あの言葉を聞いたとき 俺は無意識に頭の中で解き出していたんだな。
しかし「愛」ってなんて便利で空っぽな言葉なんでしょう。
いや、空っぽだからこそみんなここに色んなモノを詰め込みたくなるのかな。憎しみだって入るし暴力だって入る。本当に便利な言葉だ。
でも、じゃあ逆に、感情や想いのないオンガクは「音楽」ではなくただの音の連続みたいなものなのかしら。逆にそんな歌があるのなら聴いてみたい。