りょまち日記

下書き、というよりは書き損じの手紙

その気持ち、本当に"さびしい"で合ってる?

 

小雨。

東京はしんしんと小雨。

 

月曜日の朝、駅のホーム。

ストレスに焼きつくアスファルトをやさしく冷やすかのような小雨。

 

満員電車は窮屈だから疲れる。ただ、それだけ。

余白がないと疲れる、きっと 人間関係も同じ。

 

どんなに知れた仲でも余白が必要なんだね、きっと。 じゃないとやっぱり段々こすれちゃう。なんかでも言ってたな、「愛してるなら0.02ミリ離れて」って。あれはちょっと違うか。

 

 

先日、「言葉が好きだ」って素敵なことを言う人とお酒を飲んだ。(もちろん私も言葉が好きだ。日本語が大好きだ、と恥ずかしげもなく宣言できるくらいは素敵だ)

 

そこで、こんなテーマが出た。

"どんなとき『さびしい』と思う?"

 

正しくは僕がその彼女に聞いてみたんだけど。(お酒を飲みながらこんなことを聞いてくる男は十中八九めんどくさい。避けた方が身のためだ。ただし、私は例外なのだ)

 

五分ほどお互い無言で考えてみた。

たしかに、そう改めて言われてみると思いつかない。いや 思いつきはするんだけど、本当にあの気持ちは「さびしい」が一番近かったのか?なんて自問してるうちになんだかそれが適切ではないような気がしてきて。フシギだな、と思っていたところに彼女

 

「あ、思いついた」

 

うん、どんなとき?

 

「たのしい飲み会とかが終わって、別れて、一人で帰り道電車に乗ってるときとかかな!」

 

うん、それはさびしいや。さびしい。なんかふふっとしちゃった。

 

 

俺も思いついた。あれ、あれさみしいよ。雨の日の公園。子どものいない遊具、あれ見たときはさびしいなあ。なんでだろうね。きっと「本当は賑やかな場所」って知ってるからなのかなあ。そう考えると人間も一緒だよね。"本当はこんなんじゃないのに"って人を見たときもおんなじようにさびしくなる。壊れたメリーゴーランドとかね、あれはさびしさの象徴だ。壊れたメリーゴーランドなんか見たことないけど。

 

 

こんな話をしながら俺は、キャベツの葉っぱを3切れくらいつまみながらハイボールを8杯とレモンサワーを3杯飲んだ。我ながら燃費の良い身体だな。

 

 

しっかり終電前に店を出て、駅で別れた。

さすがに3ℓほどのアルコール不純物をろ過した後の身体はふわふわと浮いてるようだったけど、熱を帯びた討論の中で分泌されたアドレナリンがどくどくと分解してくれていたようで、とてもいい気持ちだった。

 

 

そこでふと

 

ん、

あれ、やっぱり間違ってるよ。たのしい飲み会の帰り道。"さびしい"じゃない。とってもさびしいに似てる、というか「さびしい」って顔をした「幸せ」だ。絶対そうだ。今度会ったら言おうっと。

 

それはね、幸せだよ。きっと。

 

 

 

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南高梅がいちばん好き

 

今日は、書きたいことが何もない。

この記事を書いている時間もあと一時間しかない。

 

なのに何故書き始めたかと言うと

「何も書きたいことが思いつかないのに、何かを綴ろうとすると一体どんな文章が生まれるのか」

ということを思い付いたからだ!

要するに暇つぶしである。

 

まあ厳密には「書きたいことが何もない」というのは少し違う。正しくは「わざわざブログにしてまで伝えたいことが思いつかない」

 

いやほんとになにも思いつかないから、今日の出来事をとりあえず文字にしてみる。

 

.

.

*今日思ったこと

・歩道橋の階段を歩いてる途中でふと立ち止まった。燃えるような夕陽に照らされた、中ぐらいの家たちを見下ろすように鉄塔が立っている。まるで両手を誇らしげに広げるように電線を張り巡らせていて「偉そうだな」と思った。でもすぐに「今お前を見つめてるのはきっと俺だけだってことに気付いてないんだろ」と謎にふふん となった。

 

・梅干しは本当に美味しい。

 

・"全て枯れ果てて同じ色になってしまった花たちに、ひとつひとつ違う名前が飾ってある花壇"を見たときの気持ちを歌にしてみよう。

 

・一日一粒が体に良いって聞いたけど、美味しすぎて四粒食べてしまった。この梅干しはなんて美味しいんだ。

 

・今夜はバンドでスタジオ。新曲がとてもかっこよい。早く合わせたい。

 

・明日は三粒にしておこう。

 

 

 

他にもたくさんあった気がするけどもう時間がない。スタジオに行かなければ。

でもね、バンドの新曲ほんとにかっこいいから期待しててね。びっくりするよ。俺もびっくりした。

 

じゃ、行ってきます!

本当に美味いもん食ったとき「美味しい」以外言えなくなる人好き

 

 

久しぶりに"すごい本"を読んだ。

 

ページをめくるたびに脳みその真ん中少し後ろらへんからドクドクと熱い物質が流れ出るような、

息するのを忘れていることにも気付かず、苦しくなってから無意識にブレスしていた ということを5ページくらい進んでからふと思い出した、という動作を繰り返していたことを全て読み終わってからやっと思い出すような、

 

すごい本を読んだ。

 

 

人はしばしば

圧倒的な尊敬や憧れ、一種理解できないような才能を目の当たりにしたとき「天才」という一言で片付けたくなる。

あるいは

"語彙力を失うほどの才能です"という気持ちを相手に伝えたくなるほどの感動を覚えたとき、あえて「天才」という一言で表現したくなる。

 

今 それに似たような気持ちで、「すごい本」を読んだと言いたい。

とにかく読み終わった感想は、『すごかった』

 

*『五分後の世界村上龍

f:id:ryomanikki:20190922145301j:image

◇あらすじ

箱根でジョギングをしていたはずの小田桐はふと気がつくと、どこだか解らない場所を集団で行進していた。そこは5分のずれで現れた『もう一つの日本』だった。『もう一つの日本』は地下に建設され、人口はたった26万人に激減していたが、第二次世界大戦終結後も民族の誇りを失わず、駐留している連合国軍を相手にゲリラ戦を繰り広げていた……。 引用...Wikipedia

.

例えるならば

安全ベルトの付いていない真夜中のジェットコースターに乗り込んでしまったような感覚だ。暗闇を駆け抜けていたかと思うと突然の閃光に何度も視界が奪われる。その間にも雨やら血液やらが顔にバシバシ跳ねてきてはいちいちその雫は何処から飛んできたのか、一体どんな動物を跳ね飛ばしたものなのかを考えてしまう。

《辛かったら降りてもいいですよ》という看板の前で一瞬減速してみせては悩んでいる隙にまた急発進、危うく振り落とされそうになる。が、気付いたときにはもう辿り着くところなんてどうでもよくなってた。し、今もまだ辿り着けていない。

 

 

自分でも何が言いたいのかよく分からない文章になってしまったけど、こんな感じで293ページはあっという間に駆け抜けていった。

 

.

.

俺は「考察」ってのが好きになれなくてどうしてもこういう"感想文"になってしまう。

 

少しでも名前のあるような作家さんの作品にはすぐ "考察"という名の絵の具が好き勝手に上塗りされる。

自分が初めて見た「それ」を綺麗だなあと思っていたところへ他人にべたべたと違う色を塗られると、戸惑う。たまに腹立つ。その後の方がより美しく見えることも稀にあるけど、大抵がっかりする。だから俺もしない。

 

 

例を言えば

 

俺は太宰治の作品が大好きで、世に出ているものはほぼ全て読んだ。

ただ、俺はあくまで「太宰治の作品」が好きなわけで「太宰治」を知りたいわけではない。なんというか 作品が好きだからこそあまり知りたいと思わない。なんだかヘンクツおやじみたいな言い方でヤだね、ごめんよ。

しかし太宰治に関する考察書籍はもう、素っ裸どころか細胞の数まで調べてるんじゃないかってくらい出回っている。

前に「太宰治論」的な本を一冊買って読んでみたけど、偉そうに主観、主観の雨あられ。お前は太宰治精神科医でもやってたのか?ってくらい好き勝手に書きやがって。あれはすぐに売った。

 

 

まあ、要するにだ

 

そんな

他人のくすんだ絵の具のせいであなたのその大好きな作品を塗りつぶされる必要なんてないんだよ、ということ。

そして俺にもそう言ってくれる人が欲しかった。一度塗りつぶされたあの作品たちはもう生き返らない。あれ、けっこうかなしいんだ。

 

.

.

今日も今日とて言葉が溢れまたとりとめもなくだらだらと綴ってしまった。けど、えーとそうそう本題はこれだ

 

 

五分後の世界村上龍

 

もし本屋さんで見かけることがあったなら是非手に取ってみてね。あーでも「初めて活字を頑張って読んでみる!」って人にはちょっと体力を使う内容かも。したっけそんな人は『星の王子さま』にしておこうか。あれもおれ、だいすきなんだ。今度は星の王子さまについても書いてみようかなあ。みんなも読み終わったら是非聞かせてね。

 

うし、

したら今日もたくさん書いたしここらへんで。だんだん寒くなってきたからみんな風邪ひかないようにね。窓開けて寝ちゃダメよ。

 

 

ばいばい!

 

 

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マグロに憧れる頭の悪い犬

 

「人を傷つけてはいけません」

 

なんて小学生の頃に、いや学校なんて入る前に散々親から言われてきた常識だ。

 

だけど今、

 

ハタチもそこそこ過ぎて、なりたくもない大人になってしまって、というかいまだに大人というものがなんなのかよく分からないくせに大人と呼ばれる歳になってしまって、ふと思う。

 

「人を傷つけてはいけません」

 

これはちょっと違う。たぶん違うと思う。違うんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ。

(このネタ分かる人はだいぶ僕よりも人生の先輩ですね。ええ、本当にありがとうございます。)

 

 

いや、マジメに。

人を傷つけてはいけません なんて言ってたらなーんにも出来なくなっちまう。"あくまで俺は" なのかな。いや そんな弱っちい言葉を逃げ道にするシンガーの歌なんて誰の心に響くんだ。俺は言うぞ。人を傷つけちゃいけませんなんて信じちゃいけません。

 

だって

 

本気で自分の人生を生きていこうと決めたのなら、他人のことなんか考えてらんないよ。

いや ちょっと語弊があるか。

"本当は傷つけたくないけど、その道を歩くのならどうしても傷つけてしまう人"って絶対出てきてしまうと思うんだ。

 

.

 

人間は一日に約9000回の選択をしているという。

目覚ましが鳴って一発目で起きようかまだ寝てようか、起きたなら朝ご飯を食べようか今日は抜いていこうか、てな具合に。

 

一日に9000回も自分で選択して決断をしているくらいなんだから、人生にはちょくちょく「人生を左右するかもしれないおっかない分かれ道」が現れる。

 

そんなときって大抵、

"このまま進んでも状況があまり変わらなさそうな見通しの良い道"

か、

"霧が立ち込めてて何が潜んでるか分からないけど、入ってみたくて仕方のない道"

の二択だったりする。

 

そのまま進んで行くのはとってもラクだ。大体想像がつくからね。一緒に歩いてる人だってきっと安心して隣を歩けるでしょう。ただ、あっちの道に進んでたら一体どんな景色を見れたんだろうってのは付きまとうだろうけど。

 

でも、

 

後者を選んで突き進むのなら覚悟が必要だ。覚悟だけが必要だ。俺は「勇気を出す」って言葉が嫌いだ。勇気なんて一体どこから出てくるっていうんだ。響きが嘘くさいよ。それなら一発覚悟を決めるだけで十分。静かに息を吐いて、どうとでもなれと飛び込む。泳ぎ方なんて知らなくていい。どうせ飛び込んでしまったらイヤでも泳がなくちゃいけないんだから。そんな心配しなくても大丈夫、どうとでもなる。まーた話が逸れてきた。戻します。

 

.

"霧が立ち込める、怖くて仕方ないけど飛び込んでみたい道"

 

どこまで行っても行き止まりかもしれない

いきなり落とし穴があるかもしれない。

一人しか歩けないような細く狭い道かもしれない。

 

でも、それでも、そっちの道でしか見られない景色がきっとある、と感じるから行ってみたいんだよね。

 

「ずっと側にいるよ」って言ってくれたあの子も並んで歩けなくなるかもしれない。

「何があっても味方だ」って言ってくれたあの人も、落とし穴に道づれになるくらいならきびすを返すかもしれない。

そして、そうなるくらいならあなたから最初にお別れを告げるかもしれない。

 

「傷つけようと思って傷つける」ことは悪だ。

でも

「本当は傷つけたくないけど、どうしても傷つけてしまう」瞬間は必ず、ある。

 

俺は、なるべくならたくさんこの瞬間を味わいたい。どちらも経験してきて思うのは、やっぱり傷つけてしまう方がつらい。だから、たくさん傷つけられて、ちょこっとどうしても傷つけてしまう人もいて、そんな具合にどんどんこの人生の輪郭をはっきりさせていきたい。理由は、ぼうっとした歌なんて唄いたくないから、それだけだ。傷つけてしまった人たちへ、愛していただけなんだ。

 

 

 

 

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見つめても見つめやしなくても季節は過ぎてゆく

 

昨日、家を出たら秋の匂いがした。

 

一昨日までは、まるであと一年は続きますってくらい夏が満ちていたのに

 

一晩でそこら中に夏が死んでる。

 

気付けばあんなにうるさかった蝉もすっかりいなくなってしまった。

 

 

秋が、いちばん好きだ。

 

 

うるさすぎた夏が終わって、これから始まる長く冷たい冬に向かうまでの、この短くてあやふやな季節がだいすきだ。

 

出会いと別れの春、太陽と喧騒の夏、新年やらイルミネーションで大忙しの冬と違って、うるさくて分かりやすいものが特にない、一年中働きっぱなしの季節の夏休みのような秋。

 

毎年、この匂いが流れ出すととっても懐かしい気持ちになる。

 

そして、ちょっと胸が痛くなる。

 

忘れかけてたこと、忘れたつもりだったけど実は心のくぼみにとりあえず蓋をかけただけだったこと。

 

そんな蓋を、秋の風はふっとあけてくる。

 

時間は傷やかなしみを少しずつ癒してくれるけれど、同じように感動や愛情も少しずつ色褪せさせてしまう。

 

ほんとは、なにひとつ忘れたくないんだけどな。

 

だからせめて

ひとつひとつその瞬間瞬間を空気ごと閉じ込めるようにやさしく、歌にしたい。かわいくて愛しい歌にして残しておきたい。

 

もうそろそろその蓋は壊してしまおう。

出来るなら、かわいい歌にしておこう。

 

思い出はいつだってやさしくて綺麗だ。

いや、やさしくて綺麗に見えたとき"思い出"という名前に変わるのかしら

 

 

今年の秋は、どこに行こう。

 

 

みんなの

 

この一瞬の秋がやさしくて綺麗な季節になりますように。

 

 

風邪、ひかないでね。

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「もう少し」「もう少しだけ」永遠は 君の口からはじまり終わる

 

 

かなしみも

にくしみもまだ学ばない

少女は笑顔で蟻を踏む 菊池遼真

 

.

.

こんばんは、菊池遼真です。

最近短歌にはまっています。

前から歌集を読むのは好きだったんだけれど 何となく自分でも作りたくなって最近ちょこちょこと書いております。

 

「鳥居」さんという歌人"キリンの子"という歌集を読み衝撃を受け 短歌の世界に興味を持ち、その鳥居さんが行う講演会を聴きに一人大阪まで出向いたほどこの一冊に心を奪われました。

 

この"キリンの子"に関しては、これだけでひとつの記事が書けてしまうほど思い入れがある一冊なのでまた別の機会に。

.

.

「俳句」と違って短歌は季語が要らない。けれど、《5・7・5・7・7》のリズムに則って言葉を紡がなければならない。

 

僕は正直「季語」に魅力を感じない。何故か と言われると説明出来ないわけでもないが、"俳句"という長い歴史を持つ芸術のその根本を何も知らないくせに「季語というものに興味がない」と言うのはとても失礼、のような気がするので控えます。

 

ただ、この《5・7・5・7・7》たった31文字という限られた枠の中で、いかに自分の世界を魅せられるか というところに僕はとてつもない魅力を感じるのです。

 

たった31文字だから、一文字も無駄な言葉は使えない。とりあえず埋めるような文字なんて入れられない。ここがたまらない。ゾクゾクする。

そもそも俺は自分の曲を作るときにも埋め合わせの言葉なんて絶対に入れないよう最新の注意を払っている。つもりだ。

 

ずっと前に、一節だけどうしても言葉が見つからなくて語呂が良いだけの一言を埋めるように入れた曲を作ったことがあった。

だけどやっぱりそこのワンフレーズだけどうしてもイヤなニオイが染みついてアルバムにも収録しなかったし、LIVEでも一度しか演らなかった。

 

うん、気付けばまた本題に入る前にもう1000文字書いてしまった。文字数の制限がないとこういう醜態に陥るのだ。そしてこんなまとまりのないエッセイみたいな文章を、ここまで一生懸命読んでくれてありがとう。なんか俺のブログってあれだね、卒アルだらけの部屋を大掃除してるみたいな文章だね。よく分かんないか。俺も分かんないや。後半いきます。

 

.

.

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抱きしめた

肌はちょっぴり冷たくて

やっぱり僕らは別のいきもの     /菊池遼真

 

言葉というのは、思っているよりも本当に頼りない。というか、本当に伝えたい気持ちなんて大抵言葉になんかできない。

 

きっと、

「愛してる」で伝わってくれるならそれだけでいい。その言葉の後ろにくっついてる匂いや色、言葉に出来ないかなしみやさびしさだったり、それら全てがその一言で伝わるのなら。
 


伝えきれないから小説家は100枚も200枚も原稿用紙を、僕ら歌うたいは四分も五分も費やして歌にする。

同じように、歌人はそれを31文字に紡いでみせる。

 

シンプルに俺はそんな、

"言葉にできない" を言葉にするこの回りくどくてまどろっこしい作業が大好きなんだな。

 

だからこそ、ルールの特にないこのブログというものは正直まだ全然掴みきれていない。

でも なんやかんや前回の記事もけっこうシェアしていただいてるようでして。こんなとっ散らかった部屋を覗きにくるあなたみたいな物好きさんの為にも、これからもパシパシ書き綴っていきたいな と考えている所存で御座います。

 

そうこう言ってるうちにまたタンスの陰に古いアルバムがちらりと見えたので、今日はここら辺でやめておこうかな。夜が明けてしまう。

 

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君を抱き

眺める無差別殺人の

ニュースに ふっ と重くなる腕    /菊池遼真

 

  

またね。

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生意気に愛や夢を歌っているのに

 

「この世の音楽は全てラブソングだ」

 

という言葉を聞いた。

 

一瞬で「ははーん、たしかに。」

と 納得したけれど、この暴論とも言えるような一言を何故すんなり受け入れることが出来たのかをゆっくりかんがえてみようと思う。

ちなみに今僕は美味しそうなケーキと可愛いキャラクター(ドラえもんピカチュウを足して哀愁を一滴垂らしたような生命体)の絵が描かれた看板が飾られてあるホコリくさい喫茶店の隅っこで、アイスコーヒーに挿されたストローをがじがじ咥えながらこの記事を書いています。

こういうレトロな喫茶店に置いてある茶色くて四角い小さな砂糖が大好きだ。店内に流れているよく分からないピアノとストリングスだけの安っぽい有線も大好きだ。

どうでもいいものたちが何故だかとっても美しく見えてくるこの気持ちを、ときどき思い出したくてふらっと入ってしまう。だからきっと、恋人とは来れない。そしてこういう風に話が脱線し続けていくことを俺は決して恐れない。ここまで書いてはっと我に返ったが消すのももったいないのでこのままいく。本題に入るぞ。ついてくるのだ。

.

.

.

「この世の音楽は全てラブソングだ」

 

ジャンルやサウンドじゃなく、これは確実にハートの話だよね。

そして、この一言に納得してしまった大きな理由はそもそも「愛」というものがあまりに多様的で曖昧で、なにより自分勝手なものだからだ。

 

スローバラードだけがラブソングとは限らない。

神を冒涜するようなハードロックだとしてもそこには彼なりの愛が込められているのかもしれない。

誰かへの、自分への、何かしらに対して、形があろうが無かろうが、「想いを伝えたい」と思うところから音楽は生まれる。

 

そんな想いから生まれた音楽は、中身はどうであろうと須くラブソングなのだ。

 

うん。

とっても自分勝手で主観的なこの方程式を、あの言葉を聞いたとき 俺は無意識に頭の中で解き出していたんだな。

 

しかし「愛」ってなんて便利で空っぽな言葉なんでしょう。

いや、空っぽだからこそみんなここに色んなモノを詰め込みたくなるのかな。憎しみだって入るし暴力だって入る。本当に便利な言葉だ。

でも、じゃあ逆に、感情や想いのないオンガクは「音楽」ではなくただの音の連続みたいなものなのかしら。逆にそんな歌があるのなら聴いてみたい。

 

もし俺がそんな歌を作り出していたら思い切り叱ってやってください。その後に優しく抱きしめてください。いや、叱らなくていいから抱きしめて。いまそんな気分。
ストローもグダグダになってきたしコーヒーもなくなったのでここら辺で。また会いましょう。
 
.
.
.
.
そんな私のラブソングを一曲。
 
希望のオレンジ/菊池遼真
 
生意気に愛や夢を歌っているのに
君の愛し方がよく分からないんだ
 
世界平和は易々と願えるくせに
君ひとりの幸せすら約束できないんだ
 
鳥は高らかに唄う
きっと愛の歌
本当はなにもかも美しいんだよって
 
青すぎる空の下で雨を忘れていた
びしょ濡れのくせに君は
雨に怯え震えてた
 
僕らは一つの傘に両手を重ねながら
少しずつはみ出した肩を
かばうように歩いてる
 
鳥は高らかに唄う
きっと愛の歌
本当はなにもかも美しいんだよって
 
生意気に愛や夢を歌っているのに
君一人の幸せすら約束できないんだ
 
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